IGYO10さん

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◆FF9の世界観の話◆

ことしの7月7日で生誕15周年。めでたいことです。

じっさい、自分がこのゲームに出会ったのは2002年くらいなんだけれど、ずっとすきなゲームです。

 

FF9といいますと、FFの歴史においては、6~8のような機械文明を押し出した世界観の潮流から脱却し、5以前の中世ファンタジー的な世界観に回帰しているところを特徴として挙げる方が多いでしょう。

ストーリーも王道RPG的展開で、7、8、10、13のように複雑なキャラクターの設定(クラウドティーダなんかはややこしい気がする)や世界の規律(魔女と時間、祈り子と世界、ファルシのルシがコクーンに略など)は一見するとありません。

 

しかし、本当にそうなのだろうか?という疑問があることも事実です。

まず、ファンタジー的世界観への回帰に対し、高度な魔法文明を持つ異世界テラが物語の後半で急に現れてくるということがあります。そこからシナリオがガンガン進むので、その世界観を飲み込む前にテラが破壊されてしまうといったこともないと言い切れない気がします。一応ガーランドが説明してくれるのだけど、ずいぶんふんわりしているというか、既に事情をわかっている人に話しているかのような印象を受けます。

また、掲げられていた「クリスタル、再び」というキャッチフレーズ、結局クリスタルが出てくるのは最後ですし、道中であまりクリスタルに対する説明もしっかりなされません。例によってガーランドのふわふわした説明だけです。一方クリスタルを全面に押し出すFF5においてはクリスタルが序盤から存在し、その破壊を食い止めるために奔走する、という構図がありますし、クリスタルについて説明してくれる住人もいます。つまり、クリスタルが常人の生活の概念としてある世界なので、あまりクリスタルって何?という疑問は浮かばないようにできているのです。

要するにFF9はDisk3後半からがわかりづらいんじゃないのかしら?ってことです。

説明だらけのRPGも嫌気がさしてしまいますけれど、あまりに説明がないと星をみるひとのように急にゲームが始まって即死しちゃうので、何でもバランスですよね。

 

というわけで、FF9においてあまり語られない点について、かんたんにまとめや、考察をしてみました。

FF9のクリスタルって何なの?

FF9では、クリスタルが魂を送り込むことで生物が生まれ、死ぬと生前の記憶を持ったまま魂がクリスタルへ還るという特異なメカニズムを持っている。また膨大な記憶を蓄積しているクリスタルは、そこから魂を送り込む際に今まで預った知恵を新たな魂に、少なからず分け与えていると推測できる(記憶の場所でガイアが海であったことを皆が知っていたのは、皆の魂が、度重なる回帰によって記憶を蓄積したガイア(テラ)・クリスタルから生まれているからではないか。魂はすべてクリスタルの分有説)。

その記憶を蓄積することでクリスタルは成長し、より複雑な精神をもつ生物の発生を促す。クリスタルは生物の誕生→死すことによる記憶の回帰により輝きを増し、星を成長させる。逆に魂の循環による変化の停止、すなわちクリスタルの成長が止まると、その星の衰退が起こる。

つまりFF9におけるクリスタルは、魂の循環と、それによる星の成長を司る装置のようなものである。

クジャが終盤で目論んだクリスタルの破壊は、ガイアという星のもつ文明、生命、ひいては星そのものの滅亡にもつながる行為である。

 

・テラはどうして老いたの?それをどう対処したの?

テラはゲーム本編とアルティマニアにおいて「高度な」魔法文明を持った世界として語られている。むろんテラが最初から高度な魔法文明を持っていたとは考えづらく、テラにも若かりしころがあり、度重なる魂の循環により文明が発展していたと推測することができる。だが、結果として星が老いるということは魂の循環が止まってしまったということである。

(仮説)高度に発達した文明のおかげで、テラの民は死ぬことを避ける何らかの術を手にすることができた。それにより「死ぬこと」そのものがテラからなくなり、魂の循環が止まった。これによりクリスタルの輝きは衰え、星が老いた。

通常のファンタジー的世界観であれば、不老不死のキャラクターの存在は珍しくない。しかしFF9において、生命の循環はクリスタル、ひいては星の成長のためになくてはならない要素である。それを取り除いたことで、テラという星は急激に衰退していく運命となったのではないか。また、「本当のテラの民は長い眠りについている」というセリフからも、テラの民が若き星を我がものとするまでの長い眠りにつける何らかの技術があるということが伺える(またジェノムという、魂を入れる器を作っていることから、本当のテラの民は肉体が消滅している可能性もうかがえる)。

さて、老いたテラにおいては「融合」という魔法がキーワードになってくる。「融合」は高度な精神を持つ生物のいない星のクリスタルを取り込み、そこにおける魂の循環をテラのものにしてしまう技である(アルティマニアより)。融合を繰り返すことで、老いたテラは自身の滅亡を免れている。

 

・本編でテラ(ガーランド)は何を目論んでいるの?

上記のように、テラは星の融合によりその生を保ってきた。

しかし適切な星が見つからず、やむなく文明の芽生えのあった若きガイアを融合しようとし、失敗した。これによりテラはガイアの内部に取り込まれることとなり、ガイアの大地は荒廃。ガイアの自然を回復させるためにガーランドがイーファの樹を植える。これがゲーム開始5000年前のこと。

イーファの樹は星の地表に根を張り、星の中心まで幹が続く巨大な魔法樹である。幹はクリスタルまで伸びており、魂の循環を制御する力を持つ。

ガイアに取り込まれたまま何もしなければ、老いたテラの魂が若きガイアの魂の循環に取り込まれることは明白であった。そのため、ガーランドは健全なテラの循環を取り戻し、ガイアをテラに取り込むため使い様々な細工を施す。

ガーランドによる魂の循環の制御は以下のようなものがある。

(1)ガイアの魂が死したとき、イーファによって、それがクリスタルに還ることをせき止める→ガイア・クリスタルの成長の抑制

問題点:テラの魂の循環は融合の失敗により、ガイアの循環の軌道に乗るようになっていた。そのため、本来はテラの魂であっても、そこにガイアの魂が重なっており、つまるところガイアの魂として処理されていた。これではいつまでたってもテラの循環は回復しない。

(2)イーファの根元にソウルディバイダーを据え、魂の精製を行う。ガイアのものとして弾かれた魂をソウルディバイダーに送り込むと、ソウルディバイダーはその魂を精製して、テラの因子だけを取り出してクリスタルへと還す。

補足:Disk2のザ・ソウルケージのセリフがこれである。ここにおける「チリ」は魂の精製のあとで残ったガイアの因子を指し、それが根を通じて大陸に送り込まれた結果、霧としてはびこっている。霧は本編でも語られている通り、生物の闘争本能を刺激させ、多くの争いを生んだとされている(アルティマニアより、1000年前のできごと)。これにより多くの命が息絶え、ソウルディバイダーによる精製は活発に行われた。

問題点:霧を避けて高台に移住したこと(アルティマニアより。霧の大陸をめぐると、高台の下にある町はブルメシアとクレイラくらいであるし、クレイラに関してははじめに幹を登るので町自体は高いところにある)、また霧を使った乗り物(飛空艇)の発明により、争いが止まり、魂の循環が元に戻ってしまった。

(3)強い意志を持つジェノム(クジャ)をガイアへ遣わし、戦乱をもたらす。→ガイアに再び戦乱を起こすことで魂の循環を速める。

補足:これに関してはガーランドが比較的ゲーム中でしっかり説明しているので、スペースを割くことを避ける。世界観把握において大切なのはクジャやジタンがどのような経緯で存在するかより、その存在や行為がどのようにテラに還元されるかである。どうしてもテラはジタンの生い立ちについてのフラグが多く、物語としても盛り上がってくるところなので、そちらに目が行ってしまいがちであるが…。

とはいえ、クジャはゲーム中において、その役割を大いに果たしたとと言って差し支えないだろう。作中でガーランドも言っているが。

問題点:自らの宿命を知ったクジャの暴走による、テラの破壊。

 

・おまけ ~どうしてFF9の世界観についての話は後半にバンバン出てくるの?~

簡潔に言うと、作中のガイアの歴史があまりにも浅いためである。

アルティマニアによると1800年前からガイアの現文明がスタートしている。テラがガイアの融合に失敗したのは5000年前、荒廃した大地が回復し始めたのが3000年前である。また、テラは作中において、星との融合を繰り返している描写がなされており、それより前から存在する星であることがわかる。星の寿命やクリスタルについての知識は、テラがガイアに比べて遥かに高度な文明と長い歴史、そして衰退の危機を持つがゆえ得たものである。

一方ガイアは若い星であるので、星の老いに関して思いを巡らせることはないし、クリスタルも星の中心に据えられており、おそらくイーファの樹を下までおりなければその存在を知ることができない。だがイーファの樹はテラの装置である。Disk2後半のイベントを思い出してみよう。葉の形をしたエレベータはエーコが乗っても反応がなかったが、ジタンが乗ると反応し、下へ降りた。これはジタンがテラの生命であることの裏付けである。となると、根っからのガイアの民がイーファの樹の下へ行くことはできない。

また、ガイアにはテラの施設がいくつか残されているが、イーファの樹でザ・ソウルケージと対峙した際、ジタンたちが霧について彼に問うたうえに倒してしまうため、我々はイーファの樹の副次的な効果を先に知ることとなる(「お前たちが見たのはイーファの樹の裏側」というガーランドのセリフはこのことを指す)。実際にイーファの樹の表側を知るのはDisk3の終盤、パンデモニウムである。これまでの間にはせいぜいウイユヴェールの語りや文章からそれらしい出来事をつかむことしかできない(し、パンデモニウムガーランドの説明はなんだかちょっとふわふわしていてわかりにくい気がする)。すなわち我々はシナリオの大半を、世界の半面だけ見ている状態で遊んでいるのである。

テラに着くのは全体の7、8割が済んだところであり、そこで世界観の叙述が詰め込みになってしまうことは容量を鑑みるに避けられない。ましてやクリスタルに関しては、1周ですべてを理解することはあまりにも無謀である。アルティマニアには世界設定についてのスペースが設けられているが、ゲームだけでこれをまかなうことが厳しいというのが、欠点として挙げられても無理はないだろう。

だが序盤や中盤で種明かしをしてしまえば物語の加速度は一気に落ち、最後まで遊びたい、何周もしたいという欲望は削がれていたことだろう。どんなゲームにも欠点はあり、FF9においてはカードゲームのルールの難解さと世界観記述の駆け足感のふたつだったのではないだろうか。

 

・おまけ2 ~ガーランドについて~

わたしはけっこうFF9ガーランドがすきだったりする。彼は敵でありながらも自らの生を全うしていて健気に映るのだ。

肉体が滅びてもなお、世界の核であるクリスタルを守らんとジタンたちに思いを託したガーランドを、悪として責めることができない。ガイアにもたらされる不運や戦乱はほとんどテラの差金ありきなのだが、テラの立場になってみるとこうする他なかったのではないだろうか。

また、イーファの樹においてクジャはダガーにこう言っている。

「生きるために他の生命を奪うなんてこと、多かれ少なかれ、誰だってすることだろう?」

この言葉はテラが生きながらえるためにしてきた行為が、クジャの脳裏をかすめているように思う。老いたテラは自立して生きることが難しい星であり、またその魂の制御の一環でクジャは生きて(生かされて)いる。それはクジャの望むところではないのだが、現状ガーランドに反旗を翻せない以上これを否定することはナルシシズムの強い彼には到底不可能であろう。またこれを否定できないということは、ガーランドの行動を間接的に肯定しているような気もする。

余談はともかく、ガーランドは最後、自らの生と存在意義に感謝してその生を終える。彼には彼の正義があり、それを全うしようと尽力していたことは作中、アルティマニアを見て明らかである。テラという星を死なせないために何千年もの間あらゆる手段を試していた。それは結果として失敗に終わり、ついには自らの命を終わらせることになるが、彼はそれに対する後悔や不満を一切口にしない。途方もなく長い間働き、自らの存在する世界を守ろうとした。いわば愛していたのかもしれない。だからこそ黙って死んでいくのではなく、記憶のこと、そしてクリスタルのことを自らの創作物、いわば息子ともとれるジタンに託したのではないだろうか。この記憶を伝える行為は、生前の記憶を与ったままクリスタルへと魂を還し、クリスタルから新たな生命が放たれていく世界観の構図と一致しているように見える。そこでこのゲームにおいて、死すること、いわば命の循環がひとつの大きなテーマとして存在していることをあらためて実感する。