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◆「嫌」という感覚の話◆

 まずは最近読んだ本から。今月はぐったりしていて全然進みませんでした。やる気がない。

「心の悩み」の精神医学 (PHP新書)

「心の悩み」の精神医学 (PHP新書)

 

 

「心の病気かもしれない」と思ったら読む本 (アスカ・ビジネス)

「心の病気かもしれない」と思ったら読む本 (アスカ・ビジネス)

 

 

どちらも精神科にかかるひとびとのサンプルと症状、それに対するつきあい方が書いてある。一般人向けでわかりやすい。

そろそろこのあたりはサンプルをピックアップしていく系から掘り下げていきたい。

 

子どもの「心の病」を知る

子どもの「心の病」を知る

 

 こっちは子どもに特化した本。幼児期から青年期の精神疾患についてたくさん書かれている。ちなみにまだ読みきっていない、七割くらいかなあ。

幼児期・児童期の章のことはあまり一般向けに詳しく書かれた本を読んだことがなかったので新たな世界を見られてよかった。所属する社会集団が少なく、小さいほど親や、どこかに通うようになればそこにいる人との関わりが今後の人生に大きく影響してしまうので、そのくらいの子どもとの付き合いがある仕事をしている人は前半だけでも読むといいんじゃないだろうかと思う。

思い返せばそれっぽい人が小学校のときにいたのだけれど、小学生はものの分別もしっかりしていないことが多いので、そのあたりをカバーするのは一応大人たる人間たちの役割なのかな~と感じる(その子に対する先生の振る舞いについて、わたしが全く記憶していないのは非常に惜しい)。

 

精神疾患系の本はちょこちょこ読んだのだけれど、他人からの承認や肯定が本人の自己肯定感を高めていくこと、結果的には前向きに生きていこうとすることにつながっていくのだろうなあと感じて、そこからニーチェのツァトゥストラに出てくる「小児」を連想してしまった。

「小児は無垢である。忘却である。新しい開始、遊戯、おのれのカで回る車輪、始原の運動、『然り』という聖なる発語である。」

(「ツァラトゥストラ」中公文庫, 手塚富雄訳)

ツァラトゥストラにおける小児は他人からの承認を必要としているわけではないのだけれど、ただ目の前にあるものを「ある」と肯定する姿勢自体が、連想のよすがになったのだろう。

実際、いいとか悪いとかいう価値基準はよくよく考えてみるとわからない(わからなくなる、といってもいい)ことがあるし、ただそれがそこにあるというだけ、それ以上でもそれ以下でもないというのは、お互いが過剰にささくれ立つこともなくていいんじゃないかなあ。それで全部がうまくいくかというとそうではないかもしれないし、そもそも価値判断を抜きにして「然り」と発語することは非常にむつかしいのだけれど。

とりわけマイノリティな思想であるとか嗜好であるとかいうことを考えると、この「然り」という発語だけで救われる人やものがたくさんいる(ある)んじゃないかなーとぼんやり思ったのであった。個人的にはそんな「然り」をもらえたらすごくうれしい。

かっこ良くしゃっきりした記事を書けないのはちゃんと勉強していないからだと、真面目な話系の記事を書いてるとひしひし感じる。

さて、外で「嫌だなあ」という人なんかがいたとき、むかしは「早く天寿を全うしてくれないかなあ」みたいなことを思ったりしていたのだけど、最近は「たくさんの人が暮らしている中にこういう人もいるもんなんだなあ」という感想にだんだんシフトしていて、もっといえば、行動の原理が知りたくなったり、想像してみたりしている。別段祈らなくてもそのうち人は天寿を全うするということに気づいたのと、「嫌だなあ」と思って都合よくその人が消えてくれるわけではないというのと、「嫌」なものなんて細かく観察していけば数えきれないほどあるからだと思う。「嫌だなあ」の対象にいちいち攻撃の牙を向けていたら疲れるし、好戦的な人ならば反撃されるかもしれない(普通に考えてとてもこわい)。

あと、結局その「嫌だなあ」という人やものを感覚したとき、それを引きずって一生を過ごすことが今のところないからだと思う。だいたいそういうのを見かけるときは一人で何かをしているときか誰かと何かをしているときのどちらかで、そこで起きた「嫌だなあ」という感覚が他の感覚(たとえば誰かとしゃべっていればその内容であるとか、ゲームをしていて楽しいであるとか)を追い抜くことがそうそうないのである。あ、でも買い物をしていて、店員が常軌を逸脱したレベルでしつこかったら買わないし、もう行くのやめようかなと思うこともあるので、「嫌だなあ」が買い物の楽しさを上回る瞬間なのかもしれない(器が小さい)。とはいえ、買い物する店の選択肢など異様なほどあるし、その程度のことでしか「嫌だなあ」が勝らないのは幸運なことだというほかない。

小児の「然り」が価値判断をともなわない発語だということで、そこから「嫌だなあ」という、否定的な価値判断の考え方について連想してみた話でした。オチをつけられないのもすみませんって感じだ。