IGYO10さん

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◆リンダキューブの世界観(3)

前回↓ 

 前回はリンダキューブの世界観が抗えぬ「絶望」を抱えているということを述べた。だが、実際にプレイしてみると他住人の退路の確保の描写やコミカルな台詞回し、新天地での明るいエンディングにより立ち直れないレベルの「絶望」を感じる場面があまりにも少ない。またシナリオA、Bは星の宿命以前にストーリーの凄惨さのインパクトが強いこと、動物の捕獲ノルマが少ないことからかなりの時間的猶予があり「死神」について考えるのが二の次になりがちである(註:時間が経過していくに連れ住人たちは他の星に避難していくので人口は減り、場合によっては施設が利用できなくなることもある。ここで初めて「この星にいられるリミットが減ってきている」という実感が沸くようになっている)。よって「死神」がもたらす自分の無力さの実感が、だいぶ希釈されている。

 このような実感は本作の持つ「絶望」がミクロな範疇に及んでいないことによる。あくまで本作における絶対的な「絶望」はネオケニアという星の終わり─いわばマクロ的なものに対する絶望であり、星に住む全ての生き物の終わりを指してはいない。彼らの前には「他の星に移住する」という選択肢があり、実際そうしている。それだからケンとリンダは作中でも仲睦まじくやっているし、未来のことも喜々として語る。住人たちもさほど切迫した素振りを見せず、中には「まぁ、なるようになるでしょ」という気楽さを持つ者もいる。ケンとリンダ、ひいては本作に登場する全ての人々、動物にとってこの星は「絶対的な」拠り所ではないのである。ゆえに登場人物たちは今まで生きてきた星を捨てることをいとわないし、笑顔でいることができるのだろう。これも従来のRPGと比べるとだいぶ意表を突く設定であり、ひとつの魅力でもある。

 以上のように、本作は星の危機と住人の存亡が切り離されたうえで成り立つ物語である。それゆえ星単位の「絶望」を抱えたシチュエーションが、即座に個々のいきものの「死」を連想させない。むしろそれとは反対の「明るく」「どこか気楽な」雰囲気があちこちに漂っている。これが「リンダキューブ」が「リンダキューブ」たる所以であり、奇妙な言い方であるが「明るい絶望」を背負った世界観として映る。