IGYO10さん

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◆似合わない服を着るつらさ

 大きく出張った骨が、望むと望まざるとにかかわらず厚い皮膚をじくじくと圧し拡げていく。このやっかいな骨盤のおかげでタイト・スカートやスキニーパンツはもとのシルエットを無視して、ぐいぐいと糸をひっぱってしまう。さすがに弾けたことはないが、ひやひやする場面はときどきある。不意にしゃがむときなんかは特にそうだ。

 わたしの下半身はどんなにがんばってもひとより太い。つつみかくさずいえば、足だって短い。このふたつは大きなコンプレックスであり、さらに残酷なことに、努力に限界を認めざるをえないことがらでもある。

 そのくせ、体を締めつけるファッションがだいすきだ。からだの形と服の求める形が合っていないことはつらいし、一度は削ることを考えたものの、手術することを思うと恐れのあまり吐き気をもよおしてしまうし(フィクションであろうとも手術シーンを見ることができない)、よくよく調べてみると骨盤の美容整形的な手術はみつからなかった。


 言ってしまえば、いま流行りのゆるいシルエットのほうが、出張った骨盤のごまかしがきくし、ゴムウエストの気楽さといったらベルトの比ではない。わたしのからだというフィールドで、スキニーに分はないのだ。

 それなのに、スキニーを履くことをやめない。すきだからという、いたってシンプルな言い分だ。服装はその人の身をキャンバスにした自己表現だと、わたしはとらえている。来る日も来る日もからだをしめつけるボトムスを履いてきっちりとベルトを締め、スマートなシルエットのボタンダウンを着て過ごしたい。わたしはみずからの表現の欲求にしたがい、着飾ることをつづけている。

 ゆるいシルエットはわたしにとって、嫌いな色や表現とおなじで「やりたくないこと」だ。「やりたくないこと」はたいがい自分にとって、つらいのだ。似合わない服を着るつらさは、似合うかもしれなくてもすきになれない服を着るつらさには勝てない。内にあたためてきた価値観を、自ら根こそぎ洗い流すようなものだ。その屈辱に耐えられるほど、鈍感に育たなかったらしい。

 それだから、なのかはわからないが、からだの形がこれ以上すきなものたちと不釣り合いにならないように、からだの形や姿勢に気をつけている。不適になったときのかたちを想像するのがこわい。自らのからだが弛緩していくのをふふと笑えるほど、おおらかになれない。神経質で怖がり。憧れに恋をする思春期の少女のような心情だと自嘲してしまう。もうそんな年はとっくに終わっている。ただその張り合いがあるおかげで、ほどよい緊張感をもって自分のからだと向き合っているような気がするし、誰か特定のにんげんに入れこむこともないのかもしれない。思えばこの数年、ひとに恋をしていない。

 話は戻り、骨盤をせばめたり、足を長くする方法があればぜひともお目にかかりたい。もちろん、「こわい」手術をしないやり方で。