IGYO10さん

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◆診断名をもらうということ

 大学にいたころ、複合的な要因が重なり精神的に摩耗したわたしは、40kgを切ってしまいそうなくらい痩せたり(159cmで、その頃は筋トレもしていなかったので、だいぶがりがりである)、不安が強くて眠れなくなったり、鬱状態が重くなって家から出られなくなったりしていた時期があった。

 そのとき症状に対して通院という選択肢を採り、病院をめぐりめぐって最終的に、社会不安障害という診断名がついた。また医師とのやりとりや心理士とのカウンセリングの過程でWAIS(いくつかの知能テストを行い、IQを測る検査のひとつである。精神遅滞≒知的障害や発達障害等の診断の目安となる。いろいろやるので疲れるが、まぁまぁ楽しい。)を受け、発達障害グレーゾーンという結果をもらっている。

 前者に関しては、診断名をもらったことで自分の不安の出方が説明された症状と一致していたし、投薬も適切であったため、通院は最適解であった。何度か薬は変わりつつ減薬、そして最小限の処方になった。今は漢方薬で落ち着いており、通院の手間や費用対効果を考えた結果(精神科は通院費がかさむのだ!精神療法 明細 点数 とかでググるとおわかりになると思う、たぶん。)、Amazonに在庫している同名の漢方のお世話になっている。以来大きく再発をすることなく、今に至る。昔より疲れやすいことはあるが、一般的に最もエネルギッシュな時期であるはずの20歳前後とアラサーの今を比較しているので、病に罹患したことが原因なのかどうか定かではない。

 それでは、後者についてはどうか。そもそもグレーゾーンとは何なのか?治療の筋道を求めて病院に行ったというのにどちらでもないというのは?結局わたしは何者であるのか?診断名らしきものを与えられたとき、様々な疑問が頭をよぎった。変わっていると言われることは多かったし、こだわりも強いほうだろうし、発達障害ポータルサイトを見るとなんとなく当てはまるようなところもある(意識しないと話し方や文章はくどくなってしまう。気をつけているのだが、このブログを読み返していてもやっぱりくどいな~と感じるときがある)。ただ、この絶妙な診断をもらったところで生活上の不便が特になかったため、そこに対しアプローチするようなことが特に見つからなかった(治るものじゃないし)。かえってこの診断そのものが悩みの種となり、どうしていいのかわからなくなってしまったのであった。

 診断名をもらうことは、目的でなく手段であった。診断が下ることで投薬や入院など、新しい道が呈示される。それによって回復するのならば、通院することは痛手ではなかった(最初から精神科への抵抗がなかったわけではない)。しかし、曖昧な診断を与えられること(そもそも曖昧な診断が存在している、という事実を!)を知らず、それによる混乱が起きてしまったのであった。そして今でもそのことは、わたしの根底によどみ、濃い霧を作りだしている。

  だからといって心理士を責めたり、病院に恨みがあるということはない。グレーゾーンというものが存在するのであれば、「あなたはまったくの健常/発達障害です」と伝えることのほうが不誠実である。

 むしろ、今まで0か1かの判断基準で行動しがちだった自分がその狭間に立たされることで、あいまいな立場にあることの不安定さや不穏さ、またあいまいであるゆえの自由(なんとも言葉にしがたいのだが、どちらでもないというのは気楽でもあるのだ)を感じた場面もあった。この一件以来、何らかのあいまいさや狭間の存在に直面したとき、慌てなくなったような気がする。発達障害グレーゾーンの診断を受けたことは、病みしときの好転手段としては不適切であったが、生きる上での視野の広がりには大きく貢献したように感じる。当時はマイナスの要素でしかなかったものが、あとあとで生きることもあるのだなぁと教えられた事象だった。